風立ちぬを見て来ました。ジブリ映画は「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」くらいしか見たことがないので詳しくはありません。ただ、今回は周りの方の評判が良かったのと宮崎駿が歴史観を色濃く描いていること、零戦に関係することということで見に行くことにしました。
【あらすじ】
まず主人公堀越二郎の幼少期から始まり、夢でイタリアの飛行機設計家カプローニ氏とあって飛行機の魅力を伝えられる。そして自分は飛行機設計家として生きることに決める。
二郎は成長し、東京の学校に通って(一高と東大)飛行機設計の勉強をするようになる。真面目に学ぶ日々が続くが、ある日関東大震災に見舞われる。直前に同じ汽車に乗っていた菜穂子に風で飛んでいった帽子を取ってもらったこともあり、菜穂子とそのをおんぶして家まで送って行ってあげる。
二郎はその後一度家を見に行くも焼けてしまって跡形もなくなっていた。ただ、菜穂子とお絹は恩を忘れておらず、一度学校にお礼の品を届ける。しかし、その後会うこともなく主人公は就職して名古屋に行くことに。
名古屋の三菱重工で設計家として、学校時代からの友人本庄と共に才覚を遺憾なく発揮する。上司の推薦もあって本庄とともにドイツに技術見学のために視察に行く。意地の悪いドイツ人による望外を受けるも、ユンカース博士の取り計らいで試乗までできることに。ドイツの技術水準の高さと日本の後進性をまじまじと見せつけられる。
帰国してからは二郎は上司の期待の下、設計主任を任されることになる。設計した飛行機は空をとぶことに成功するもまだまだ二郎の希望のものとは程遠いものであった。テスト飛行後二郎は避暑地軽井沢に行き羽根を伸ばすことに。そこでドイツ人カストルプと仲良くなり、ユンカース博士が危ない状態であることを知る。また、道端で助けた女性が実は震災の時に助けた菜穂子であることが分かり、一緒に遊ぶうちに恋に落ちる。結核を患っていることを菜穂子から告白されるも、二郎は婚約を申し出て付き合うことに。
別々に暮らすことになったが、仕事に戻った二郎は再び一生懸命働き始める。公安に追われながらも頑張って働くが、ある日電報で菜穂子が喀血したことを知る。一瞬だけ仕事を抜け、菜穂子のお見舞いに行くことに。菜穂子は病気を高原の療養所で治すことを決意する。
二郎は新型戦闘機開発のために日々尽力をしていた。一方で菜穂子とは文通でやり取りしていたが、菜穂子は寂しさからか、自らが長くないことを悟ってか療養所から抜け出して二郎の元へやってきた。結婚して一緒に暮らすことをお互いに決意するも、二郎は戦闘機の開発を最優先にしながら生きる。菜穂子はそばにいられるだけで幸せそうにしており、文句を一切言わずに励まし続ける。
遂に新型戦闘機は完成する。菜穂子にそれを伝え、泊まりこみでテスト飛行があることを伝える。菜穂子は成功を願ってくれるも、二郎が出て行った後に一人でこっそり療養所へ帰ってしまう。
テスト飛行は大成功に終わり零戦は完成する。二郎の追い求めていた夢は叶った。しかし、戦争が終わった後、夢の中で二郎はカプローニに「夢ではなく地獄かと思った」「出撃した飛行機は一機も戻って来なかった」と苦悩している様子を見せる。カプローニは最後に、ずっと二郎を待っていた人がいると言い菜穂子を紹介する。「あなた…生きて…」微笑む菜穂子。その時、風が立った。菜穂子はまるで風に溶けるように消えさっていった…
【気になったところ】
かつて、日本で戦争があった
対象から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。
そして、日本は戦争へと突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?
イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描くー。
堀越二郎と堀辰雄に
敬意を込めて。
生きねば。
→映画紹介に書いてあるコピー。宮崎駿が伝えたかったのはこの時代を愚直に一生懸命生きた堀越二郎の姿だったということだろうか。また、わざわざ道行く子に食べ物をあげるシーンや取り付け騒ぎを描いたのは時代の大変さを描いたということなのだろうか。
「仕事に打ち込むために、世帯を持つのも矛盾だ。日本が貧乏なのに、高額な飛行機を作ろうとしていること、それによって俺たちが飛行機を作れることも矛盾だ。だが、俺はそのチャンスを無駄にしない。」
→映画で本庄で言う言葉。多くの矛盾を抱えながら生きている様子を現している。矛盾を持ちながらそれでも「生きる」強さを見せているのではないか。本庄も二郎も一貫して「美しさ」のためだけに飛行機を作っている。
「日本はチャイナと戦争したり、満州国を作ったり、国際連盟を脱退したり、すべて忘れる。破裂する。ドイツも破裂する」
→ドイツ人カストルプが軽井沢で主人公に言った言葉。宮崎駿が当時と今の国への不信感を思い切りあらわにしている部分ではないか。
【感想】
久しぶりのジブリ映画だったが、とても面白かった。またすぐに見たくなる映画である。今回は大人のある程度教養のある人に向けた(もしくは宮崎駿が自分自身のために作った)映画であり、ある程度知識がないと楽しめない映画であるとも感じた。(関東大震災、取り付け騒ぎ、ドイツとの関係、第二次大戦についてなど)時代の厳しさを描きつつも、二郎が物質的にも精神的にもその苦難を受けること無く夢を追いかけているのが印象的だった。しかし、それに対する解釈ができない。多義的な解釈が可能なものに対して立ちすくんでしまう自分の能力の無さに悔しさを覚える。
面白かった点であるが、まずラブロマンスとして楽しめた。菜穂子と二郎のような純粋な儚くも切ない恋は、羨ましくもあり感動を誘う。仕事、自分の夢のためにエゴイスティックだと分かりつつも、今を大切にするためにも菜穂子と一緒にいる決意をした二郎。寂しく先が長くないことを悟っていたからこそ、二郎と一緒にいたいと思った菜穂子。どちらの思いも純粋で微笑ましく、お互い寂しいながらも幸せに生きられたことに感動した。
しかし、菜穂子との時間を犠牲にし、自分の人生全てを使って成し遂げた二郎の夢はなんだったんだろうか。映画の最後に二郎が自分で苦悩しているように、二郎が作った夢の「零戦」は特攻を生みたくさんの命を奪い、日本は敗戦に終わった。もしかしたらその夢は無いほうがよかったのかもしれないのだ。この時代だったからこそ、このような夢を追いかけることが悲しい結末を生んだと宮崎駿は言いたかったのだろうか。厳しい時代を愚直に生きる青年を描きながらも、その愚直さは結局悲劇を招いただけだった、それは時代の責任だと言いたいのだろうか。でも、それは違う気がする。夢は夢なのだきっと。カプローニが最後に零戦を見て、「美しい、いい仕事だ」と言ったように、震災・貧困・病気・戦争という厳しい時代であったとしても、夢を愚直に持って生きる、それがどのような結果になってもそれを受け止めて、また愚直に生きるという当時の人間の強さを描きたかったのではないだろうか。