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標的の村【映画】

ポレポレ東中野にて「標的の村」という沖縄の基地問題を扱った映画を見てきました。




【概要】

ある日沖縄県国頭郡東村高江に住んでいた一家に、高江を取り囲むように米軍のヘリパッドが6つ建設されるというニュースが届く。以前より周辺には米軍の演習場があったが、今回は普天間や北部訓練場の返還と引き換えにSACO合意に基いて建設が開始されることとなった。


「まるで自分たちは標的のようだ」「米軍はヘリからわざとこっちに照準を合わせてくる」と憤慨する周辺住民。ベトナム戦当時、沖縄の山岳地帯に襲撃訓練用の「ベトナム村」に近くに住む高江の住民たちが連行され、ベトナム人役をやらせられていた土地の記憶が蘇る。枯葉剤など危険な薬物が使われていたとの話も出てくる。


そこで、高江の住民は自らの生活が脅かされないよう、座り込みによって建設作業を妨害した。しかし、ある日15名が「通行妨害」の名の下に国に訴えられる。そこには座り込みに参加してすらいない、当時7才の小学生の女の子の名前も入っていた。公的機関の弱者に対する威圧・嫌がらせのための裁判、通称SLAPP裁判が行われたのである。


その後も裁判を闘いながら、皆で反対運動を続けるものの、クレーンなどを使い妨害を避けながらヘリパッド建設は進められてしまう。そして国からの説明は一切なかったが、米軍の資料からそのヘリパッドがオスプレイの離着陸にも使われることを住民は知る。このことに怒りを爆発させた住民たちはオスプレイの普天間基地配備前夜、台風にも関わらず前代未聞の普天間基地ゲート封鎖を決行する。


沖縄の警察と住民の間に激しい抗争が起き、一時米軍とも一触即発の状態も迎える。沖縄人同士で戦い合いをしなければならないことにお互い葛藤しながら、何年もずっと何も変えられないことに苛立ちを覚えながら、戦う住民たちの姿がそこにはあった。

【感想】

抗争シーンの圧倒的な描写に驚きました。心的葛藤がありながら、警察も住民も激しく戦っている様子にはひどく心をうたれました。また、子供の頃からこの問題に関わった子は、活動家のようになってしまうだろうし政府を信頼することは絶対にないのだろうと考えると、何か寂しく少しでも変えることはできないだろうかととても思います。

この映画を含めた沖縄基地問題から左翼活動家の人達の思惑やイデオロギーなどをどれだけ割り引くかは難しい所ですが、純粋に住民として自分が生まれ育った故郷に安心して住みたいと思っている人達がいるのも事実であり、沖縄では県知事や市長なども基地反対運動に身を投じていることを鑑みればこの問題が「あいつらはサヨク」という意味不明の言葉では片付けられないことが容易にわかると思います。地政学的な重要性、日本政府ですらアメリカ軍の機密には触れられないこと、本土の国民の基地問題に対する意識の低さが相まって問題解決を阻害しているわけですが、必ず解決されるべき、重要度の高い問題であるので皆にも知って深く考えてほしいと思います。


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野蛮人のテーブルマナー【書評】

【本の目的】

筆者佐藤優の外交官時代のインテリジェンス活動の経験をベースに、「どのようにすれば、正確な情報を入手し、更にその情報を精査し、そして、こちら側にとって有利な状況を作り出すことができるか」(P.7)というテーブルマナーを紹介すること

【目次】

第一章 野蛮人のテーブルマナー ~情報戦を勝ち抜くテクニック~

第1回 インテリジェンス式接待
第2回 情報源(ソース)の見つけ方
第3回 酒、賭博、セックスの使い方
第4回 赤ワインの2つの顔
第5回 ロシア式懲罰
第6回 暗殺工作のテーブルマナー
第7回 インテリジェンスの記憶術
第8回 組織の中での生き残り方
第9回 相手の知的水準の見抜き方
第10回 AV(アダルトビデオ)業界に学ぶ組織論
第11回 ロシア式飲酒術

第二章 外交は究極のビジネススクール 佐藤優×鈴木宗男

・トップと会うには?
・トップ会談をセットアップせよ
・トップに仕えるノウハウ
・「バカ話」の大切さ
・「挫折からのリカバリー」

第三章インテリジェンス対談 佐藤優×河合洋一郎(国際ジャーナリスト)

(略)


【本文中の気に入った箇所】

”キーパーソンを初めてレストランに連れて行くときは。超高級店を選ぶ。~~中途半端な「安めし」は意味が無い~~中途半端なメシを3回するよりも5万円で1回、相手
の印象に強く残るような食事を奢るのが効果的だ”
これは

「わたしはあなたをこれくらいたいせつにしているんです」
「わたしにはこれだけのカネを使う権限を組織から与えられています」

という2つのことを示すのが目的らしいが一般人の使い道はどうか。悩むところではあるが、仕事上で手にしたい人ならそのまま、口説きたい異性に対しては「メシ」をデートに置き換えて金額以外のインパクトという意味で再解釈すれば利用可能だと思われる。


”実は相手が食事に応じたということで工作は50%成功しているのであるが、自然に次回の接触を約束するためには物の貸し借りをすることが小細工としてよく行われる~~相手が断ることの出来ないような小さな物を「貸してくれと」頼むのがコツだ~~「あなたにあげる」と言ってもそんなことはできない」と遠慮する素振りを見せ、必ず借りることだ。こちらは遠慮しているのではなく、借りたものを返すという口実で3回目の接触を確保しようとしているのだ。”
これは使いやすいかつ、2回目だけでなく3回目にもつなげられるのでとても良いと思う。


”インテリジェンスの世界では、動物行動学(エソロジー)の知識も重要だ。動物は警戒している動物と同じ餌箱からエサを食べることを嫌がる。人間も嫌いな人とは一緒に職をしたくないという心理がある。それを逆用して、一緒に食事をすることで、「あなたにとって私は危険な人物ではない」ということを深層心理に徐々に刷り込んでいくのが食事工作の基本だ。筆者の過去の経験則からすると、同一人物と3ヶ月以内に3回以上、食事をすると、アルコールを伴わなくても、一応の信頼関係はできる。”
半分当たり前のようにも聞こえるが、食事を共にする機会を創出して信頼を得るのはとても良いと思う。最初に2人でというのが難しくとも、複数で卓を囲むことも可能な訳だ。
”(AV産業は)細胞と一緒で、生まれてから死ぬまでがパターン化しているでしょ?だから続くんですよ。一人の子を永久に生き残らせようとすると、永久に生きる細胞って言ったら癌しかないんだから。癌化していくんですよ。~~AV業界はシステムとして見た場合に、生物・有機体的なモデルなんですよね。だから永続する。~~個々のAV嬢には終わりをつけること。これは永遠に続くっていう、余人をもって代えがたいって感じをもつと癌細胞が生まれる。官僚の場合それが顕著で、余人をもって代えがたいと思いたがると。だから癌細胞化するんですよ。逆に個々のAV嬢や官僚に終わりをつけ、新しい細胞を迎え入れることができるようにするとそのシステムは永続する”
極めて面白い観点からの組織の見方だと思う。確かにAV業界の入れ替えりつつシステムとしては安定していることは見習えることがある。



その他
・不満分子に対してアプローチ、認知欲をくすぐるとなおさら良い
・「人柄を知るのに茶なら1念、酒なら1ヶ月、賭博とセックスなら1時間」
・相手が酩酊して漏らした秘密情報について、素面になってから確認しない(ガードが固くなる)
・酩酊した上での相手の醜態を決して非難しない、ひどい目に遭っていても「いや、全然問題ないよ。愉快な酒だった」と答える
・本当に知りたいことが1つしかない場合、それ以外の質問を4つ仕込んでおき、こちら側の真の関心事を隠蔽する
・会話とちょっとした情景を結びつけて、インデックスをつけて覚える
・組織に抗うものは必ず潰される、生き残るためには告発者の側に回ることだ
・偽情報を掴まないために、こちら側で確認できるような引っかけ質問を入れておく
・強い酒(ウォトカやジン)からワイン・日本酒、ビールで締めるという通常の逆をやると酔い潰すことができる
・トップと会うにはトップにいつでも会える人と友達になる

【感想】

半分以上は、面白おかしく外務省やロシアの事例を紹介しているだけなので中身が濃いわけではなかったが読みやすく納得できることもいくつかあった。大体普段の生活で無意識に使っているのではあるが、意識的にこれからは利用出来そうである。また、相手の人柄や人間関係といった情報も外交において極めて大切であることを痛感した。自分も人付き合いの中でしっかり見極めながら立ちまわることを意識していきたい。

風立ちぬ【映画】




風立ちぬを見て来ました。ジブリ映画は「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」くらいしか見たことがないので詳しくはありません。ただ、今回は周りの方の評判が良かったのと宮崎駿が歴史観を色濃く描いていること、零戦に関係することということで見に行くことにしました。

【あらすじ】

まず主人公堀越二郎の幼少期から始まり、夢でイタリアの飛行機設計家カプローニ氏とあって飛行機の魅力を伝えられる。そして自分は飛行機設計家として生きることに決める。


二郎は成長し、東京の学校に通って(一高と東大)飛行機設計の勉強をするようになる。真面目に学ぶ日々が続くが、ある日関東大震災に見舞われる。直前に同じ汽車に乗っていた菜穂子に風で飛んでいった帽子を取ってもらったこともあり、菜穂子とそのをおんぶして家まで送って行ってあげる。


二郎はその後一度家を見に行くも焼けてしまって跡形もなくなっていた。ただ、菜穂子とお絹は恩を忘れておらず、一度学校にお礼の品を届ける。しかし、その後会うこともなく主人公は就職して名古屋に行くことに。


名古屋の三菱重工で設計家として、学校時代からの友人本庄と共に才覚を遺憾なく発揮する。上司の推薦もあって本庄とともにドイツに技術見学のために視察に行く。意地の悪いドイツ人による望外を受けるも、ユンカース博士の取り計らいで試乗までできることに。ドイツの技術水準の高さと日本の後進性をまじまじと見せつけられる。


帰国してからは二郎は上司の期待の下、設計主任を任されることになる。設計した飛行機は空をとぶことに成功するもまだまだ二郎の希望のものとは程遠いものであった。テスト飛行後二郎は避暑地軽井沢に行き羽根を伸ばすことに。そこでドイツ人カストルプと仲良くなり、ユンカース博士が危ない状態であることを知る。また、道端で助けた女性が実は震災の時に助けた菜穂子であることが分かり、一緒に遊ぶうちに恋に落ちる。結核を患っていることを菜穂子から告白されるも、二郎は婚約を申し出て付き合うことに。


別々に暮らすことになったが、仕事に戻った二郎は再び一生懸命働き始める。公安に追われながらも頑張って働くが、ある日電報で菜穂子が喀血したことを知る。一瞬だけ仕事を抜け、菜穂子のお見舞いに行くことに。菜穂子は病気を高原の療養所で治すことを決意する。


二郎は新型戦闘機開発のために日々尽力をしていた。一方で菜穂子とは文通でやり取りしていたが、菜穂子は寂しさからか、自らが長くないことを悟ってか療養所から抜け出して二郎の元へやってきた。結婚して一緒に暮らすことをお互いに決意するも、二郎は戦闘機の開発を最優先にしながら生きる。菜穂子はそばにいられるだけで幸せそうにしており、文句を一切言わずに励まし続ける。


遂に新型戦闘機は完成する。菜穂子にそれを伝え、泊まりこみでテスト飛行があることを伝える。菜穂子は成功を願ってくれるも、二郎が出て行った後に一人でこっそり療養所へ帰ってしまう。


テスト飛行は大成功に終わり零戦は完成する。二郎の追い求めていた夢は叶った。しかし、戦争が終わった後、夢の中で二郎はカプローニに「夢ではなく地獄かと思った」「出撃した飛行機は一機も戻って来なかった」と苦悩している様子を見せる。カプローニは最後に、ずっと二郎を待っていた人がいると言い菜穂子を紹介する。「あなた…生きて…」微笑む菜穂子。その時、風が立った。菜穂子はまるで風に溶けるように消えさっていった…

【気になったところ】


かつて、日本で戦争があった

対象から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。

そして、日本は戦争へと突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?

イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。

この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描くー。

堀越二郎と堀辰雄に
敬意を込めて。

生きねば。
→映画紹介に書いてあるコピー。宮崎駿が伝えたかったのはこの時代を愚直に一生懸命生きた堀越二郎の姿だったということだろうか。また、わざわざ道行く子に食べ物をあげるシーンや取り付け騒ぎを描いたのは時代の大変さを描いたということなのだろうか。



「仕事に打ち込むために、世帯を持つのも矛盾だ。日本が貧乏なのに、高額な飛行機を作ろうとしていること、それによって俺たちが飛行機を作れることも矛盾だ。だが、俺はそのチャンスを無駄にしない。」
→映画で本庄で言う言葉。多くの矛盾を抱えながら生きている様子を現している。矛盾を持ちながらそれでも「生きる」強さを見せているのではないか。本庄も二郎も一貫して「美しさ」のためだけに飛行機を作っている。
「日本はチャイナと戦争したり、満州国を作ったり、国際連盟を脱退したり、すべて忘れる。破裂する。ドイツも破裂する」
→ドイツ人カストルプが軽井沢で主人公に言った言葉。宮崎駿が当時と今の国への不信感を思い切りあらわにしている部分ではないか。

【感想】

久しぶりのジブリ映画だったが、とても面白かった。またすぐに見たくなる映画である。今回は大人のある程度教養のある人に向けた(もしくは宮崎駿が自分自身のために作った)映画であり、ある程度知識がないと楽しめない映画であるとも感じた。(関東大震災、取り付け騒ぎ、ドイツとの関係、第二次大戦についてなど)時代の厳しさを描きつつも、二郎が物質的にも精神的にもその苦難を受けること無く夢を追いかけているのが印象的だった。しかし、それに対する解釈ができない。多義的な解釈が可能なものに対して立ちすくんでしまう自分の能力の無さに悔しさを覚える。


面白かった点であるが、まずラブロマンスとして楽しめた。菜穂子と二郎のような純粋な儚くも切ない恋は、羨ましくもあり感動を誘う。仕事、自分の夢のためにエゴイスティックだと分かりつつも、今を大切にするためにも菜穂子と一緒にいる決意をした二郎。寂しく先が長くないことを悟っていたからこそ、二郎と一緒にいたいと思った菜穂子。どちらの思いも純粋で微笑ましく、お互い寂しいながらも幸せに生きられたことに感動した。

しかし、菜穂子との時間を犠牲にし、自分の人生全てを使って成し遂げた二郎の夢はなんだったんだろうか。映画の最後に二郎が自分で苦悩しているように、二郎が作った夢の「零戦」は特攻を生みたくさんの命を奪い、日本は敗戦に終わった。もしかしたらその夢は無いほうがよかったのかもしれないのだ。この時代だったからこそ、このような夢を追いかけることが悲しい結末を生んだと宮崎駿は言いたかったのだろうか。厳しい時代を愚直に生きる青年を描きながらも、その愚直さは結局悲劇を招いただけだった、それは時代の責任だと言いたいのだろうか。でも、それは違う気がする。夢は夢なのだきっと。カプローニが最後に零戦を見て、「美しい、いい仕事だ」と言ったように、震災・貧困・病気・戦争という厳しい時代であったとしても、夢を愚直に持って生きる、それがどのような結果になってもそれを受け止めて、また愚直に生きるという当時の人間の強さを描きたかったのではないだろうか。






ノモンハンの夏【書評】

半藤一利氏著『ノモンハンの夏』を読みました。

【概要】

満州国の地方にある何の重要性もないノモンハンにおける国境紛争が、どのように悪化し大規模戦争に至ったかを描いた歴史小説でした。参謀本部と関東軍作戦かと現場において協調ができなかったことが大きな原因で、紛争悪化と日本の惨敗を招きました。

以下ノモンハン事件の原因・敗因分析としてとてもまとまっており、本書の要約としても機能するので、事件後の研究会で三嶋大佐が行った率直な陳述をご紹介します。(本文中に記載、楠裕二氏の著書より転載とのことです)
(1)ノモンハンで戦わなくてはならない必然的な理由がなんなのか、結局わからずじまいに終わった。

(2)指揮命令の失態、軍事的失敗は下級部隊ではなく、上層部にある。作戦はあまりに煩雑な指揮命令系統と、必要以上に多数の高級将校を経由しなくてはらなかった。

(3)日本軍の装備・組織が不適格であった。とくに、輓馬を使うにいたっては論外である。軽傷を負っただけでも輓馬は役をしなくなる。

(4)広漠たる平原では機動性が決定的に重要である。自動車化が必要である。

(5)(6)不明

(7)ソ連軍を甘く見た。中国船の経験は通ぜず、日本軍は「煉瓦の壁」に突き当たった。

(8)結論として、武士道精神がノモンハンでは間違って解釈されていた。指揮系統という大動脈に地が通っていなかった。何事も公式的、事務的で温かみがなかった。

【気になったところ】

・辻正信の発言「戦争というものは勝ち目があるからやる、ないから止めるというとのではない(略)勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」
→参謀の言葉とは到底思えない。このような根性論を持ち出す人間は参謀になるべきではない、精神論は弊害が多い

・半藤一利の辻正信評「議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた『絶対悪』が、背広姿でふわふわとしたソファに座っているのを、眼前にみる思いを抱いたものであった。」

→辻政信は本書を読む限りとてもひどい人物であるが、絶対悪と言い切るこの評価は痛烈。

【所感】

・昭和天皇は政治的発言や介入をしていた

・現場の暴走ほど厄介なものはない、指揮命令系統との徹底は死活的に重要

・情報収集の必要性。ソ連への侮蔑的な見方、思い込みが悲惨な結果を招いた。ファクトとロジックを元にしない意志決定は、方向性を見失わせその後の方向転換も難しくしてしまう

・戦力の逐次投入は最低

断る力【書評】

勝間和代氏の『断る力』を読了しました。


勝間和代氏自身が優秀な方なのは分かるのですが、取り巻きのせいなのか露出度のせいなのか本を読む気にはなかなかならないのです。しかし、佐藤優氏が『僕らの頭脳の鍛え方』
「勝間和代氏は新自由主義者ではない、資本主義に対抗して、新自由主義の行き詰まりに対して、現実に足がかり手がかりがある形で、内部から変容していく処方箋を提示している」
と評しているのを見て面白そうだったので読むことにしました。

【要約】

自分の中に揺るぎない自信を醸成し、他人との同調圧力に負けないようにする。そして、他人の都合に合わせて生きるのを「断り」、生産性を向上させ、自分の生き方に合わせてスペシャリティを身につけていくことでコモディティ人材から抜けだそう。断ることによるデメリットはせいぜい嫌われるくらいだが、それも「断る」ことによって起因することは少ない。また、人間全員に好かれて生きていくのは難しいので、最低限の注意を払った後は割り切るしかない。

【本文中の気に入った箇所】

「事実なんてない。あるのは認識だけだ。」
「自分が正しければ、いつかは周りが認めてくれる。自分さえしっかりしていれば、最終的に周りが助けてくれるなんて大ウソ。相手が読心術を持つエスパーでない限り、あなたが言葉を使って言わなければ絶対分からない」
→恋愛や交友関係においてもそうだと非常に納得。残念ながら言葉にしなくてもわかってほしいという素朴なお願いというのは、無理だという認識から出発したほうがよさそうですね。言わないで破綻していくよりも、言ったほうがいいですね。

「相手の要請を断るときこそ、相手の立場を考え、相手の気持を自分の気持ちのように大事に考えるのです。それが出来ない時点では、断る権利がないと思っています。」
→断るときは威圧的になりがちなので、気を付けないとですね。


「断らないことのモノは深く考えなくてすむこと」
→思考停止への誘惑はそこここにあるので、気をつけないと。「本当にそれはやる必要があるか」「自分がやる必要があるか」は常に考えないと。その後にチップを定額、サービス料に込みにしてほしいと日本人は考え、思考をサボりたがると書いてありましたが少し納得ですね。(無礼なことをしたくないという方が大きいとは思いますが)


「私たちは自分の扱い方を人に教えている」
→下手に出る人は下手に扱われるように、自分の行動によって人からの扱われ方が変わる


・苦手な人にはあだ名をつけて楽しむ
・カチンときたら「ちょっとトイレ」
・わがままを言うときは身体を微妙に揺らす
(本文中の『人づきあいのレッスン -自分と相手を受け入れる方法-』のからの引 用を更に引用)

【雑感】

勝間和代氏に対する印象が良くなりました。出典が不明確なデータ等が多々あったものの、極めて論理だった筆致で、厳しい競争社会を生き抜く方法を理想と現実のバランスを取りながら描いていました。私は比較的「断ったり」、人に意見を言うことができるタイプなのですがもっと臆せずに言うようにしようと思うと同時に、「断る」ことへの配慮や無駄に嫌われないような配慮もしていかなければならないと思いました。

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

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