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スプツニ考!(Sputniko!) ~チンボーグ、チンコの歌~

今日はネットでも話題になった男性器を扱ったスプツニ子!の作品を紹介する。

まず一つ目はチンボーグ説明は下記の通り。

チンボーグは、
オープン・プロステティックス(オープン補綴学)という、義足や義手等の身体代替品(高価な物が多い)のデザインをオープンソース(無償公開)にするムーブメントから着想を得ています。身体部位という文字通り「身近」なものをオープンソースにする事は非常に合理的に思えますが、身体デザインのモチベーションが従来の<医療、科学、軍事>の枠からはみ出ると、一体どの様な進化をしていくのでしょう? そしてオープンソース特有のアマチュア文化は、どの様に身体デザインの分野で露呈するのでしょう? 執着、好奇心、こだわりや性癖など、非常に個人的なモチベーションによって身体がデザインされる事はあるのでしょうか? 「チンボーグ」は、23歳の英日ハーフ、身長173cmの大学院生である私が、「自身の感情によって動かす事のできる身体部位(この場合、ペニスですが)があると、私の心境はどう変わるのだろう?」というシンプルな好奇心を満たす為に作ったボディーパーツです。 2週間をかけ、実際に装着者の心拍数に基づいてモーターが上下に動くペニスが制作され、テストされました。この新しい身体部位は、私の行動を変えるのでしょうか?(あのフロイトさんの言っている事は、本当に正しいのでしょうか?)装着後の私にファントム・ペニス現象は起きるのでしょうか?そして私のようなアマチュアが、この様に自身の身体をオープンソースにする事は、一体どういう意味を持つのでしょうか? 


スプツニ子!はフロイトのペニスエンビーなどに代表されるような、ペニスを特別視した考え方やその先にある女性蔑視への皮肉を込めてこの作品を作ったのではないか。あとは単純な好奇心。

かなりネタ的な作品な気はするが、身体を拡張して女性が男性の気持ちを理解するという「生理マシーン、タカシの場合」の反対が起こせるかもしれないと考えるととても興味深い。テクノロジーによって両性の理解の促進や、性同一性障害の人の願望が叶えられるかもしれないのだ。

チンボーグによって、男性が女性の前で勃起してしまうという気持ち悪がられてたことが、案外普通なのかもしれないと受け入れられたり、男性とチンコとの特別な関係(ポジションが気になったりなど含む)に対して想像が利くようになるかもしれない。

またより広い視点から考えて、この作品をきっかけに身体のオープンソース化がより進んでいくと我々の身体はどのような形で拡張されていくのか考えるのも面白い。

例えば、幻影肢に陥った人に再度腕などを付け直す、自分のドキドキを相手の装置にダイレクトに伝える装置、コントロール可能な尻尾、壁を昇り降りできるような手先の吸盤、角、牙など様々な拡張身体が開発されていくかもしれない。そうすると、現在でもつきつけられている我々の身体の役割や範囲について更に考えていかなければならなくなるかもしれない。生身の肉体など拡張身体の「劣化版」にしかならないかもしれないのだから。


もう一つ紹介したいのは「チンコの歌」。
これもチンコについてなのだが、ただの歌ということもありやや趣が違う。

「う~ん、男の人って『女の人が好きだー』っていう感情をそのまま満喫していますよね。夕刊フジさんはその代表でしょ!? それって健康的でとっても良いことですよね。女の人だって、本当はみんな『Mens&boys大好きっ!』なのに、心の制限を解除できない。だから、女の人が元気になる作品として発表したんですよ」
ZAKZAKより
周りの爆笑やそれに応えている部分でかなり下品な感じがするが、一応この曲も男性中心的に社会が作られていて、男性が性的欲求を満たすようなコンテンツは世の中にはびこっており、それらに言及すること含めその行為が社会的にかなり容認されているにもかかわらず、女性のそれは無いということに対してのおかしさを訴えているのだろう。あとは先と同じでチンコってそんな意識するほど特別なのか?っていう部分もあるのかもしれない。



個人的にはこの2つによってスプツニ子!が変な人とか下品な人と思われてしまうのが残念である。チンコの歌は炎上マーケティング的なところもあり正直好きになれないが、チンボーグに関してはかなり深いテーマを持った装置だと思う。また、デザインもかなりかっこよく最近のテンガの商品のようだ。


正直もう書くこともなくなってきたので、スプツニ子!特集はここまで。奇抜で賛否を巻き起こすようなスプツニ子!の作品は、表面的に見るとただ面白いだけだが、実は裏にしっかりとしたテーマとテクノロジーの裏付けがありそれを考えられれば考えられるほど楽しめる。それはどのようなアート作品でもそうなのかもしれないが、ポップ・アートであり一般人、特に若者に親しみやすい様な形で提示してくれる分取っ付き易いので、これからも要チェックして社会を洞察していく縁としていきたい。

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スプツニ考!(Sputniko!) ~寿司ボーグ☆ユカリ~

今度は「生理マシーン、タカシの場合」と一緒に2010年に東京都現代美術館のトランスフォーメーション展に提示された「寿司ボーグ☆ユカリ」をとりあげる。


この作品は他の作品に比べてかなり「ネタ」的な印象を受けたのだが、読み解きが甘いのかもしれない。いくつかの問題提起は分かるのだが、それらも「あるある」のようなものであり、他の作品のような鋭さが感じられない気がする。



「寿司ボーグ☆ユカリ」



【内容】
公式サイトによると下記の通り。

”世界屈指の頭脳&予算を持ったサイエンティストたちが競って美少女ロボットを開発している昨今、「寿司ボーグ☆ユカリ」は近未来東京で<女体盛り回転寿司モデル>として開発された女性型サイボーグ。 毎晩懸命に仕事帰りのサラリーマンを癒すユカリだが、彼女の知能が段々と発達していくにつれ、ユカリはただの「可愛いらしい接客サイボーグ」としての役割に不満を覚え、こっそりとキッチンで自分の身体を改造し始める。回転寿司部分にナイフを取り付け、自らを兵器として改造したユカリ。彼女はついに、女体回転寿司サイボーグ屋の脱出を試みるが...?”


実際の動画では、ユカリに殺されたサラリーマン達が倒れている映像がずっと流れている。男体盛りされた男、宴会芸をしていたのか鼻に割り箸が刺さったまま倒れた男をユカリが踏んづけるシーンなど。最後の方にユカリが本来の仕事である、回転寿司モデルの役割を果たしているシーンが出て終了する。


【感想】
テーマとしては、女性差別、機械と人間の境界、機械の暴走といったことになるのだろうか。あとは、日本の文化に対する外国のイメージを茶化しているのかもしれない。


とりあえずユカリがテクノロジーの力を使って、自分をトランスフォーメーションしたという点だけは納得できた。最後に回転寿司モデルの映像が流れるのは、ユカリが殺戮に意味が無いと感じて、元の姿に戻ったのかそれとも昔の映像なのかはよく分からない。もしくは脱出が失敗して毒気を人間によって抜かれた形に改造されてしまったのかもしれないが。


他に気になったのは、寿司と言いつつ枝豆がよく写ってる点とか目のアップの時にそれが動いていること、いきなり寿司を置いて踏み潰すことの意味だ。全くわからない。


本人はこの映像がパロディ要素を色々入れたブラックユーモアと言っているがどの点にパロディがあり、ブラックユーモアがあるか分からないのは非常に悔しい。結局最初に書いたとおりこの作品の「浅さ」はただ自分の浅さを反映しているのだろう。しばらく経ってからまた見て、再解釈してみたいと思う。

最後に本人がこの作品に言及している部分を紹介しておく。

スプ子: 「Body as Shop - 店舗としての身体」について考えていて、まず思い浮かんだのが海外で悪名高き幻のジャパニーズカルチャー「女体盛り」。その未来版として女体回転寿司サイボーグが頭に浮かびました。それで作ってみたら、動いた。詳しい背景はサイトで解説しているので、どうぞ!

ガイド: 短編映画では、ユカリが殺人鬼と化し、サラリーマンを血みどろに……確かに寿司ボークは一度試してみたいですが、これを見ると……サラリーマンの股間にはいなり寿司のようなものが(笑)。

スプ子: よく気づかれましたね! あの映画は色々なパロディー要素をこっそり入れていて自分では結構ギャグ映画かな、と思っていたんですが人に「ホラー」と言われ初めて「そうなのか!」と気づきました。隠しネタをもう1つバラすと、倒れたサラリーマンの一人に全身真っ黒の宇宙人がまざってるんです。未来だから。
All About スプツニ子さん~彼女はサイエンスより)


―― じゃあマシーンを作るアーティストとしての話も伺いましょう。「寿司ボーグ☆ユカリ」とか「メロディナイフ」のような殺戮系の作品がそうですけど、何か男に恨みでもあるんですか? スプ子 恨みはないですけど、私、三池崇史とタランティーノが大好きなんで。それに少しおちょくるくらいがちょうどいいと思っておりまして。これはイギリス人的なブラックユーモアかと思いますね。笑ったけど、これって笑っちゃいけないんじゃないか? とか、面白かったけど、それで良かったのか? と、笑った後で少し考えさせられるような。
(ASII.jp 美人すぎる理系アーティスト・スプツニ子さんはなぜ歌う?より)

スプツニ考!(Sputniko!) ~生理マシーン、タカシの場合~

今日からはスプツニ子!の作品を1つずつ考えていく。先日書いたとおり、スプツニ子!の作品はあくまで、議論を巻き起こすためのものであり「正解」というものはないので、作者の問題意識や訴えたいテーマについて踏まえた上で自分なりの解釈を書く。


最初に取り上げるのは「生理マシーン、タカシの場合」。最初に取り上げた理由としては、これがスプツニ子!の作品の中で最も衝撃を受けた作品だからである。「生理」というテーマを真正面から扱ったこと、生理を体感できるマシーンを実際に作ったこと、「テクノロジーに関わる女性の数が少ないから女性側の問題が解決されない。生理を男も感じてたら既に解決されている。実際ピルの認証は9年かかったのに、バイアグラは6ヶ月だった。」という問題意識全てが自分にとって新鮮だった。




生理マシーン、タカシの場合




【問題意識】
21世紀を迎え、テクノロジーによってコントロールが可能なはずの生理はなぜまだ起きるのか。性別、文化、宗教などの差異から生理への考え方が異なり、生理をどう扱うかも違っているが、我々にとって生理の持つ意味は何なのか。もし生理が必ずしも必要では無くなった場合、誰が何の理由で生理になるのだろうか。(Sputniko!公式サイトより)



【内容】
まずはオフィシャルサイトの説明から。


「ボクはオンナノコになりたい、オンナノコの気持ちをもっと知りたい!」ーーそんな想いから、こっそり女装を始めるようになった不思議少年<タカシ>。 しかし彼は女性的な外見を装うだけでは満足出来ず、 女性特有の生物現象である<月経/Menstruation>までも 身に着けるために<生理マシーン>を作る。 女性の平均月経量である80mlを5日間かけてタンクから流血し、 下腹部についた電極がリアルで鈍い生理痛を装着者に体感させる<生理マシーン>。タカシはそれを自ら着けて友人と夜のまちへ出かけるが...!?(Sputniko!公式サイトより)
実際の動画は、タカシが部屋で女装してくシーンから始まる。タカシは女装が終わった後、より女性に近づくために、生理マシーンを装着して女友達と遊びにく。プリクラを一緒に撮って楽しんだ後、外を歩いている時にタカシは生理痛に耐えられずしゃがみこんでしまい、トイレにかけこむ。生理痛と生々しい血の滴りを感じながら、タカシは顔を歪めてもだえる。そして、最後には楽しそうに女友達とカラオケを歌っているシーンが移り動画は終了する。歌詞は「生理マシーン」からタカシへ向けた、「女性がどういうことを体験してるか知りたいんでしょ?痛いでしょ?辛いでしょ?でも知りたいんならきちんと体験しないとね?」といった挑発的なメッセージである。




【感想】
生理とは何かということ自体今まで考えたことがなかったので、生理とは何か考える切っ掛けとなったが、生理自体について自分含めた男性陣が少しも考えてことがないこと自体が、男性の女性に対する不理解なのだということを気付かされた。


皆少しは、月一回の辛いモノみたいなことは知っているが、結局自分に関係ないため、やはり意識は向かわないし「本当に大変なの?女が騒いでるだけじゃないの?」みたいな偏見からも逃れられない。しかし、この作品を見て自分がこの生理マシーンを装着することを考えると、その大変さへの想像力が強く喚起され、もっと社会全体で考え取り組んでいくべき問題なのかもしれないと想えるようになった。タカシの苦悶の表情がそれを強く訴えかけてくる。


しかし、この作品は先述の通りジェンダーの問題だけにはとどまらない。生理とは何かという観点からも見ていかなければならない。それは「タカシの場合」という名前が象徴している。実際スプツニ子!も下記のような発言をしている。
”そうですね。例えば「生理マシーン」は男性用だけじゃなくて、もし未来に生理という現象がなくなったときに、女の子たちが自分のアイデンティティを確認するために装着するというシチュエーションも想定しているんです。だから、「生理マシーン、ユミコの場合。」とかも作りたい。そうやって同じコンセプトで曲をたくさん作るということもやっていきたいですね。”(PUBLIC-IMAGE ORG より)
そこで他にどんなシュチュエーションが想定できるかを考えてみた。例えば、上述のテクノロジーによって生理が無くなった世界で自らの身体性や性をを確認したくなった時。閉経した女性が若き頃の体験を思い出すため。女性の気持ちを理解するために保健体育で、男子につけさせるため。生理が来る前の女の子に、その大変さを思い知らせてきちんと準備させるため。小学校高学年の生理が早い子と遅い子の間で扱いや、知識が変わらないように調整するため。色々なパターンが思いついたが、どれも生理とは何かという答えにはなっていない。


もし生理の痛みや辛さが、コントロールできるようになったら生理は不要なのだろうか?自分が主体者ではないこともあってそれはそれで良い気がする。しかしながら、このような問題をそんな簡単に判断して良いのだろうか。そもそもこれは「合理」という観点から判断が許されるべき問題なのだろうか。


仮に生理のコントロールが良いのであれば、我々は自らの身体に他にどこまで、テクノロジーの介入を許すのだろうか?生理だけではなく、精子や卵子、妊娠や出産あど全てコントロールして良いのだろうか?それは「神への冒涜」ではないのだろうか?


ただ、結局私はこのようなテクノロジーが生まれたら是認すべきであると考える。それは、苦痛を避けて快楽へ向かう人間の不可避的な運動であり止められない上、価値判断は個人によって自由に判断されるべきと考えるからである。そして、自分を含めて一定程度そのような身体へのテクノロジーの介入を避ける人々も存在すると思われ、存在基盤を失うことはないと思うからである。


遠くない将来、このスプツニ子!の問題提起は生理という枠組みを超えて、実体的な形で我々に迫ってくるだろう。その時にどのような答えを自分なりに用意できるかをこの動画をベースにもっと考えていきたい。



スプツニ考!(Sputniko!)

先月行った東京都現代美術館のうさぎスマッシュ展に行きスプツニ子!なる人物を知ってとても作品が面白く、流れていた音楽が中毒性が高くハマってしまった。色々調べていたところ丁度情熱大陸でもとりあげられ、本も発売され、一躍時の人のようになってきているようだ。




「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」(うさぎスマッシュ展に展示中)



そこで何回かに分けてスプツニ子!についてブログを書いてみようと思う。まず初めは簡単なプロフィールと基本的なスタンス、考え方をとりあげる。次回以降作品などについて触れていく。


【プロフィール】
スプツニ子はサイボーグ/身体拡張/ジェンダー/アイデンティティー/ポップカルチャーなどのテーマを軸に音楽や映像、デバイスの制作をしている『サイボーグ乙女』です。CBCNETより)

・1985年7月1日東京に生まれる。父親は日本人、母親はイギリス人。両親とも数学者で、本人もインペリアル・カレッジ・ロンドンの数学科および情報工学科を卒業。

・2010年ロンドンRoyal College of ArtDesign Interactions学科修士課程修了。・2007年よりロンドンを中心に音楽やデバイス、映像制作などのアーチスト活動を行う。

・2009年ドラディカル・デザイン(=ドラえもん+ラディカルデザイン)の着想を得る。


・2010年6月末からロンドンRoyal College of Artでの卒業制作発表展「Show Two」で作品が展示される。発表映像作品のひとつ『生理マシーン、タカシの場合。』がヨーロッパなどで反響を呼んだ。(ユーザー投票により「YouTube Video Awards Japan 2010」 の「テクノロジー・乗り物」部門を受賞)


・2011年7月からのニューヨーク近代美術館(MOMA)での企画展「Talk to me」に出展。

・2013年秋よりMITメディアラボの助教に就任予定。

wikipediaより抜粋)




ハーフで高校は日本のアメリカンスクール、大学はイギリス学士課程・修士課程共にイギリスで過ごす。数学者の両親に育てられて、幼き頃から数学をずっと勉強してきた理系女子であり全く大衆側の人間ではない。様々な点でマイノリティ側に属しているからこそ、鋭く独自の視点で社会を批評する目が培われたのではないか。(イギリスのカルチャーも影響しているだろう)



【スタンス】
スプツニ子!がしたいことは人々の常識を崩すこと。そのために、枠に囚われること無く様々な領域を縦横無尽に駆け巡り、社会の現実的な現象・課題を科学的な観点を含めて入念にリサーチして、把握・再検討する。そのプロセスによって見えてきた新しい観点を一つのコンセプトにまとめあげ、それを一人ではなくチームを率いることで、最も人々の議論を巻き起こせるような大衆に向けたポップ・アートという形で作品を完成させる。あくまで人々の常識を崩すことが最優先であり、自分の考えや「正解」は提示せず、人々が自分自身で考えるきっかけを作る。


このスタンスは下記のようなインタビューから見て取れる



”根底にあるのは常識を崩したいというパンク精神です。常識を崩すというと、奇をてらうことだと勘違いしている人もいるけれど、それは違うと思っています。人が本当にびっくりするのは、常識や現実からほんの少しずれたことが起きた時。常識や現実からかけ離れてしまうと、理解や共感ができなくなってしまうんです。”



”だから、作品を作るときには科学的なリサーチを入念に行い、そこから「これは本当なのかな」と批判的に考えて現状を少しずらすというアプローチを取ることが多いですね。アートに限らずどんな分野でも、新しい発見というのはゼロからは生まれません。すでにあるルールをきちんと見つめ直し、それが本当に正しいのかを疑ってみてやっと次の新しいものが見えてくると思っています。”




”今、私が興味を持っているのはみんなの既成概念を変えるきっかけを作ること。地域格差だったり、ジェンダーの問題だったり、常に社会のバグみたいなものを掘り起こして「これ見なよ」と突きつけるような非常に厄介な人でありたいなと。”

リクナビ就職ジャーナルより)





【考え方】
スプツニ子!の生み出した考えにドラディカルデザインがある。上記スタンスと重複する部分も多いが、スプツニ子!が考えだした、彼女の考え方を端的に表す概念なので紹介しておく。


ドラディカル・デザインとは「ドラえもん」 と「 ラディカル・デザイン」を組み合わせて作った造語である。


彼女によると「ドラえもん」はその秘密道具から生まれるドタバタ劇を通して、毎週テクノロジーや社会通念、環境問題についてわたし達を考えさせる。それは下記3つの要素を持つクリティカルデザインに、プロダクト周りの世界観、キャラクターや物語を付加したラディカルデザインとそっくりであるとのこと。


 


<クリティカルデザイン>


1.あるプロダクトを提案/デザインし
2.その使い道を、見る側に考えさせる事によって
3.私達の持つ価値観や道徳、行動、社会について振り返えさせる



そして、スプツニ子!はドラえもんが結末を用意せずに、オープンエンドにして人々が議論したり自分自身で考えられるようになったほうが面白いと考えており、彼女のドラディカルデザインには起承転結の「結」はない。


スプツニ子!によるとこのドラディカルなアプローチを<生理マシーン、タカシの場合>では試したとのことである。(ということはこの作品以外はドラディカルではないのか?)



少し長くなったが、以上がスプツニ子!の紹介である。次回以降は彼女の作品について書いていく。

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

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